京都でヨガと北欧暮らし

書写人バートルビーを読んで

書写人として法律事務所で働く男、バートルビー

頼まれた仕事を拒否し続け、事務所に置き去りにされる。その後、刑務所に入れられるが、食べることを拒否し餓死する男の話。

文中にバートルビーの感情の描写は一切なく、淡々と拒否し続けるバートルビーしか映されていない。「そうしない方が好ましいのですが。」と言い続ける彼の頭の中は一体どうなっているのだろう。

 

語り手はバートルビーの上司である。法律事務所を小規模ながら営む平凡な英国紳士。

彼は私達読み手と同じくバートルビーの不可解な言動や行動に頭を悩ませる。

すぐに怒ったり、物忘れがひどかったり、金遣いが荒い等の難のある人物はたまにいるが、バートルビーが事務所で働き始めた最初の頃、彼はバートルビーが一種のそのような人間だと解釈していた。しかしながら行動が奇妙すぎる、そしてその意図も分からない。しかもこれらの行動、言動には一切の悪びれた様子や人を貶めてやろうといった悪意も感じられない。徐々に彼はバートルビーを普通の枠の中の逸脱した人物ではなく、普通の枠から逸脱したなにかだと認識した。そこからはまるで動物を諭すように慈愛をもってバートルビーに”接触”する様子が興味深かった。

 

彼はバートルビーが普通ではないと認識した後、普通ではなくなったのには何か原因があるのではとバートルビーを問い詰める。もちろんバートルビーにとっては自分の過去について話すのは「好ましくない」ため何も語らない。

 

原因が分からないのだ。そもそも原因があるのかすら分からない。知る由もない。バートルビーは生まれながらにしてそうだったのか、それとも何かきっかけがあってそうなったのか。頭に疾患があるのか、健康なのか、本当にジンジャークッキーしか食べないのか。ジンジャークッキーしか食べない理由は何なのか。何故書写人になったのか、家族は。どこから来たのか。

 

 

何故バートルビーが全てを拒否するのか。

自分のことをあまり話さない人間だからだとしたらどうだろう。過去に何かトラウマがあってそこから自分について話さなくなった。精神疾患も患っていて、普通の人が普通にできることができない。理由付けが明確になる。誰しもが納得できる。

欲がない人間だからだとしたらどうか。是非ともこの理由では議論したくない。何故ならこれこそバートルビーの証言なしには決定的な結論に至らないからだ。

人間には必ず欲求があるはずである。マズローが言うところの成長欲求、関係欲求までは取り除けるとして、人間として機能を維持するために生理的な欲求を司る生存欲求はどの人間にも必要だ。

現にジンジャークッキーしか食べていなかったバートルビーとも言えど、それは食べたいと思う食欲はあったわけであったのだ。そこまで生き永らえたということは生存欲求はあったわけである。

また欲求がない人間は「したい」という欲もなければ「したくない」という欲もないはずである。バートルビーはそれを「したい」とは思わないが、「したくない」とは思うのである。書士はしたいが、使いには行きたくない。ジンジャークッキーは食べたいが、刑務所内の弁当は食べたくない。ここの線引きは一体どこなのだ。

 

私がバートルビーを形容するとしたら修行僧だ。食べることを拒否し餓死するのは殺生を良しとしないジャイナ教の最も善い死に方とされているし。自我を消滅させていく仏教僧の生き方とも似ている。

バートルビーが実は熱心な仏教徒であった描写があってくれたらいいのにと思う。だが現にそのような描写はないからこれは空想にしかすぎない。

信念を持たずにバートルビーは悟りの境地に達し死んでいったのか。信念を持たずしてそのようなことが為されるのか。

 

いずれにせよ、全て仮説にすぎない。意図を汲み取れない人間がこんなにもやっかいだとは。

 

 

ああ!バートルビー!ああ!人間!